うしろすがたのしぐれてゆくか

愛するフレンチブルドッグと昨日と今日と明日と旅と。

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今までに何度か「世界ウルルン滞在記ルネサンス」を見たことがある。そこでいつも思うのは、送り出す方と送り出される方とどちらがツライのかということ。
私は絶対に送り出す方(その土地に残る方)がツライのではないかと思う。
それが、田舎であればある程に。

たとえば人里離れたところに住む年老いた夫婦のところがホームステイ先だったりすると、「この人が帰ったらふたりはすごーく寂しくなるんだろうな」と、番組が終わらないうちから余計な心配をしてしまう。
これは「ケ」と「ハレ」の考え方とおなじ。ケが日常で、ハレは非日常。
非日常があるからこそ人は日常を生きるものでしょう?

田舎暮らしだった子供の頃は、毎年、東京に住んでいる従兄弟たちが大勢で車に乗ってやって来て、しかもひと夏中ずっとうちにいた。
田舎は海も山も楽しめる土地なので、都会から来た子供にとっては楽しいことだらけだったのだろう。私からすれば、あまりに田舎すぎて退屈なだけだったけど、従兄弟たちはいつだってテンションが高かった。興奮が高まりすぎては羽目をはずし、叔母さんや叔父さんに大目玉をくらうという繰り返し。

そして楽しい時間ほどあっという間に過ぎ去るもの。迫り来る秋の気配を感じつつ、大勢いたお客さんが帰ったあとの我が家は本当に辛かった。もちろん、遊び過ぎて残った宿題を片付けなくちゃならないってこともあったけど、それだけじゃない。
ああ、もう昨日まで毎朝「おはよう」と言い合っていた人たちがいないんだ。
今までずうっと機嫌の良かったお父さんもお母さんも、またときどき怒ったりするようになるんだ、ってね。両親もまた同じように、ケとハレの差を感じていたと思う。
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selamat tinggal〈スラマッティンガル〉
selamat jalan〈スラマッジャラン〉
どちらも、意味は同じ「さよなら」だ。
違いは、ティンガルの方が去ってゆく人、旅立つ人がいう言葉。
ジャランの方は、その場所にとどまる人。ジャランは『道』という意味なので「道中ご無事で」ということ。ティンガルは『住む』の意。スラマッは『平和』。

だから、わたしたちがバリを離れる時はいつも「selamat tingal」だった。
いつか「selamat jalan」って言える日がきますように。

最近知ったんだけど、ハングルにも同じく「さよなら」がふた通りあるという。
日本語はどうしてひとつだけなんだろう。
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残されたほうって寂しいですよね
私は家に極力人呼ばないんです
あの帰った後の カラ~ン とした雰囲気に耐えられず(笑)
人を呼んでも一緒に出かけるとか
ほぼ外で待ち合わせです
そしてスノーボードに毎週行っているんですがそういう時の『バイバイ』は言うんです
また来週も会うという事がわかっているので
しかし次の約束をしていなかったり
次いつ会えるのかわからない
という人とさよならする時には必ず
『またね』です
願いこもりすぎですよね(笑)
まぁその差に気が付く人はあまりいませんけどね
ふと花もイチもそういうふうに毎日私を仕事に送り出しているのかなと思うと
早く帰りたくなりますね(笑)

2007.12.18 18:34 URL | ミミヨ #- [ 編集 ]

>ミミヨ さま
人を送り出すのって、なんか寂しいんですよね。
そういえば、私もほとんど家に人は呼びません。
そして確かに、次いつ会えるか分からない人には
バイバイって言わない気がします!
私も「またねー」って言ってます。
頻繁に会う人の方がきっぱりさっぱり別れてますねー。不思議。

花ちゃんとイチくんは、どんな気持ちで送り出してるんでしょうね。
毎日のことだから慣れるのかもしれないけれど
出かける方としては、やっぱり早く帰りたいですよね。
そんな話を聞くと、うちみたいに必ず誰かが家にいる生活は
ほんとうに恵まれてるなあって思います。
とはいえ、普段も特に、何をどうしてるってわけでもないですけど。

2007.12.19 21:35 URL | チタリニ #- [ 編集 ]













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