うしろすがたのしぐれてゆくか

愛するフレンチブルドッグと昨日と今日と明日と旅と。

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「グロテスク」。
 桐野夏生のこの文庫を書店で見かけることはあったけれど、今まではとくに興味を持てなかった。他の桐野本はいくつか読んでいるのに。
 先日、またもや書店で見かけてパラパラめくっているうちに、この本が東電OL事件にヒントを得て書かれたということにはじめて気が付いた。なんだ、そうだったのか! あの事件に関しては私も興味があり、関連書籍を三冊ほど読んだ。どちらかといえば、冤罪の可能性を指摘された被告の方を気にしていたんだった。「グロテスク」は逆に、被害者女性にインスパイアされた物語だ。そのことを知り、迷わずレジに向かった。
 
 読んでいるうちに、主人公たちが通う女子校内でのすさまじい格差について興味を覚えた。まさかこんなことって現実には無いよね。小説だし。なあんて、最初のうちは思いながら読みすすんでいた。だけど考えてみたら、ここまでじゃないけどたしかに格差はあった。私が高校生だった頃にも。
 
 私が通っていた学校にはふたつの科があった。普通科と、もうひとつは女子のみの科が。
 
 入学してからまず、部活をどれにしようかと考えた。いろいろ見たのち軽音楽部(実際はほとんどフォークソング同好会だったけれど)に決めた。中学生の頃からギターをはじめていたし。その後の3年間、私はバンド活動に精を出すことになる。
 部内にはたったひとり別の科の女の子がいた。私はなんとなく彼女と気が合い、話し込むうちにずいぶん仲良くなっていた。
 ある日の放課後。ふたりだけで練習していたときに彼女がぽつりと言った。「普通科のひとたちはみんな私のことなんか相手にしてくれないから嬉しかった」。
 そのとき私たちはまだ1年生の1学期。たったの15歳。だけど、科を隔てての付き合いというものがほとんど無い、ということくらいは気付きはじめていた。
 
 2学期になると次第に彼女はあまり部活に顔を出さなくなっていった。ときどき廊下ですれ違うと挨拶をするていど。たいていお互いに友達と一緒だから、立ち話をすることもない。 
 その日たまたま私がひとりで練習している教室に彼女がやってきた。ひさしぶりの会話。話しながら泣き出す。たぶんもう部活はやめる。やめないかもしれないけどもう来ないと思う。担任の先生が言ってたよ。君たちは、普通科の生徒に対してなにも卑屈になったり恥じることは無い。堂々と生きなさい。
 
 こう書くと、私たち普通科の生徒はよっぽど高飛車で態度も底意地も悪く、別の科の生徒たちを虐めていたように思うかもしれない。だけど実際は違った。そんな性格の悪い生徒はほとんどいなかった。私はバンドを組んでいたから、そのときどきで彼女たちの科に行って話をしていたし、周囲の友達も科の隔てなくつき合っている人が多かった。
 だけど全体を見るとそうじゃなかったんだと思う。全体の雰囲気が。虐めるとかそういうことじゃなくて、基本互いに交流が無いという状態。たぶんこれが元凶だったんだと思う。今となって思うことだけれど。
 ふたつの科のあいだには階段と廊下があった。それを超えて行き来することはかなり少数の人間同士。とくに向こうからこちらに来る人はほとんどいない。
 対立しているとか、逆に腫れ物に触るなんて方がよっぽどマシだったのかもしれない。こちら側の生徒は、用が無ければ向こう側の生徒と交流を持とうとしない。特に興味もない。きっと大多数が彼女たちのことを、いないものとして振る舞っていた。いないものというよりも、見えていなかったのだと思う。そこには悪意なんて無いのだ。まったく。だからこそたちが悪くて、相手はより深く傷つく。
 すべては今となって思うことだけれど。
 

 
 

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2008.06.03 23:05 | 本とか作家とか仕事とか | トラックバック(-) | コメント(-) |
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