うしろすがたのしぐれてゆくか

愛するフレンチブルドッグと昨日と今日と明日と旅と。

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 私が中学生の頃だろうか、ふだんは伯母さんの家で暮らしている祖父が長期間うちに泊まりにきた。
 
 正確に言えば、祖父はそのときにだけ泊まりにきたわけではなく、定期的に、数ヶ月間単位で我が家にやって来た。その頃の祖父はたぶん、あまり体調が思わしくなく、うちに来てもどこかへ出かけるでもない。日がな一日客間で横になっていた。私と顔を合わせるのはトイレに立つときくらい。目が合うと、いつもニコッとされた。
 
 伯母さんたちが話している祖父の評判をつねづね聞いていた私は、「この穏やかそうな小柄なじいちゃんがねえ…」と不思議に思ったものだ。それは「じいさんは昔は大酒飲みで、家ではいつも大暴れして、それはもう、大変だったんだよ」という話。
 
 
 夏だった。
 祖父が、いつもの一日の何度かの恒例行事のようにふらっと客間から出て来た。やはり目が合うとニコッと笑った。すれ違うとき、白いランニングからむき出しの二の腕にふと目がとまった。小さな入れ墨があった。祖父本人の名前だ。それを見た私は瞬時に感じたのだ。
「もしかして、じいちゃんは戦争に行ったのかな」
 
 それについて祖父に問いただしたことは一度もなかったし、私にとっての祖父は、つねにニコニコ笑っている穏やかなひとだった。
 だから私にとって、戦争を身近に意識した体験はこれだけだ。そもそもこれが本当に戦争にからんだものなのかも、祖父がこの世界にいない今となっては分かるはずもないけれど。
P1020661.jpg
 映画『ひめゆり』を観た。  
 自分のスケジュールの都合でいちどは諦めかけたから、上映期間ぎりぎりの、すべりこみセーフ。この映画は、出演者の意向(これまで多くのメディア、特にフィクションに扱われた中で彼女たちは傷つき憤慨することが多かったそうです。なので、この映像もいつか手の届かないところに行ってしまい、勝手に編集されたりすることを心配しているからです)によりテレビ放映やDVD化はしないという。
 coccoが寄せていた「忘れたいことを話してくれてありがとう」ということばがすべてをあらわしている。
 
 「ひめゆり」と呼ばれた沖縄のおばあたちは、今までずっとながいこと口をつぐんできた。いまだにその体験を話せないひとも多いという。その頃17歳とか19歳だった彼女たちも、もう80歳を超えてしまった。自分がこの世からいなくなってしまえば、その記憶も消し去られてしまう。だから話すことにした。それならば私もその証言を聞かなければならないと思った。
 
 いちばん心に残ったのは、重傷を負った兵隊の切断された腕を捨ててくるように命じられ、屋外に出ると、ちょうどそこで出会った別の兵隊に、何をしているんだとぎょっとされ、事情を説明すると「すごい女だな」と言われた、という話。
「すごい…」ということばを発する前、一瞬ことばを飲み込むように、詰まって、しばらくしてから話しはじめた。
 最初は毎日毎日「かわいそう、かわいそう」と泣いていたのに、いつのまにかそういうことが平然とおこなえるようになっていた。そんな自分に気が付いて、そのときはじめてはっとしたという。なぜなら、自分を振り返る余裕なんてない毎日なのだから。生きるか死ぬか。それは兵隊だけでなく非戦闘員であってもおなじ。たとえ今日生きていても、明日死ぬかもしれない。それが戦争なのだ。
 
 この証言を聞けてよかった。文章で同じ証言を読むこともいいかもしれない。けれど、そのひとがしゃべっている姿を見ながら話を聞くというのは、またぜんぜん違う体験だと思うからだ。ひとによって話し慣れている人や、つっかえながらも懸命に話す人などさまざまだ。一瞬の沈黙とか、言葉の抑揚とか、行間からではぜったい伝わらない、温度とか匂いみたいなものさえも、映像からはしっかりと読み取り感じ取ることができる。沖縄の海風とか、うっそうとした森の湿度とかそういうものもいっしょに。
 
 この夏は、全国44カ所で上映会が予定されているようです。

 
 
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2008.06.27 23:13 | 本とか作家とか仕事とか | トラックバック(0) | コメント(-) |

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