うしろすがたのしぐれてゆくか

愛するフレンチブルドッグと昨日と今日と明日と旅と。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
 書店でお目あての本を物色しつつぶらぶら。立ち止まった棚にちょっと気になるタイトルの本を見つけ、手に取ってみる。
「限界集落」
 
 ここ最近ときどき耳にする言葉である。以前テレビの特集で、高知県の山間部のとある限界集落の現在を放映していた。水道は山水を引いていて、古くからの暮らしを守り続けているという感じ。水は清く山は青く、景色も空気もきれいで、私にはとても美しい土地に思えた。しかしそこは限界集落なので、人口の半分以上が65歳以上の高齢者ということになる。
 十何年か、何十年かのちにはなくなってしまう集落。
 
 目次にさっと目を通すと私の生まれた土地が載っていた。正確には、家があったところからは結構離れている。とはいえ大きなくくりでは同じ土地。しかもふたつ。もう30年以上前に家族で住んでいた、30年以上前に出てしまった場所。だけど記憶はしっかりある。隣りに住んでいた女の子の名前も、毎日家までヤクルトを運んでくれた、ちょっと変わったおばさんのことも。もちろん住んでいた家の造りだって覚えている。
 
「だからといって、どうすることもできないんだし」
 そう自分に言い聞かせることにして、本棚に戻した。
 
 夕べからちょうど、「さびしさの授業/伏見憲明(理論社)」を読んでいたところだった。タイトルがいいなと思って読み始めたら、いじめについての話だった。
 1時間目のはじまりはこうだ。
『きみはこの世界なしには生きられないが、世界は、きみがいようがいまいが関係なく存在し続ける』

 私は池澤夏樹が大好きなんだけど、何度も読み返しているお気に入りの一文がある。小説「スティルライフ」の冒頭部分だ。
『この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない』

 気になって読む本に同じようなフレーズが出てくることってけっこうあるなあ、と思った次第さ。

スポンサーサイト
2008.10.09 23:48 | 本とか作家とか仕事とか | トラックバック(-) | コメント(-) |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。