うしろすがたのしぐれてゆくか

愛するフレンチブルドッグと昨日と今日と明日と旅と。

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 日常のなんてことない瞬間にも、子どもの頃に言われた親の言葉に影響を受けている自分に気づいてハッとすることがある。
 
 そしてこれは、なんとかしたほうがいいのだと思う。
 ○○してはいけない。○○しなくてはいけない。
 普段そんなふうに思いがちなものごとと、親に言われてきたことがつながっている。いいことも悪いことも。
『なんとかしよう』と思うのは、たとえいいことだとしても「○○しなくてはいけない」という考え方は、ときに自分を追いつめるかもしれないからだ。

 映画「アヒルの子」を観たときに感じたのは、親がよかれと思って子どもにしてあげたことも、子ども側からすれば逆効果になりかねないということ。そういう危険性をはらんでいるかもしれないということ。

 小5の夏、私は本気で水泳をがんばっていた。地区の大会に出場することが決まり、先生も一生懸命指導してくれた。
 なのに母親は、自分で勝手に決めてきた「全国から集まる小学生の夏合宿」とやらに行けという。それはまさに大会の日を挟んだ泊まり込み。私はギリギリまで先生に言えず、「早く言いなさい!」という母との板挟みになって、ようやく直前で先生に「実は…大会には出られないんです」とうちあけた。あのときの先生の、ガックリ肩を落とした姿はいまでも忘れられない。
 だけどそれも、母親が私に対してよかれと思ってしたことだった。そしてあとで後悔した母に「行かせるんじゃなかった」と言われた。(実は、母も近所の人に「子どもの自立のためよ」と騙されていたが、実際、合宿とは名ばかりの宗教勧誘の旅だったからだ)
 べつだん親を恨んだりしたわけではないけれど、しっかり覚えているということはやっぱり何かしら強い気持ちが働いていたんだろう。
 
 結局、「しなくちゃいけない」って考えるより「したほうがいい」くらいにとどめておくほうが、楽に生きていけそうな気がするんだよね。





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2010.10.14 22:45 | どこにも属さないお話 | トラックバック(-) | コメント(-) |
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